そんなことより

ゲームの話とか全然関係ない話とか

世界観の作り込みが作品の全てではない

昔、有名な少女漫画フルーツバスケットの単行本に読者からの質問を紹介するコーナーがあった。

その中で、こんな質問が寄せられているのを見た(細かい部分はうろ覚え)

「透(ヒロイン)は草摩邸(男3人住まい)に居候してますが、生理の時のトイレはどうしてるんですか?」

対する作者の回答はこうだった。

「1階と2階にトイレがあって2階を専用で使わせてもらってるんだよ。でも漫画でそういうこと気にするのってどうかと思うよ

 

もちろん、フルーツバスケット本編中に透が生理になって〜みたいな話は出てこない。っていうかそんなエピソードを当時の少女漫画でやるわけがない。

作者の言う通り、そんなことは気にしなくていい。

いや正確には、気にしてもいいが、いちいち作者に確認するような話ではない。読者が好きに想像すればいいようなことだ。

例え作者がトイレの設定について何も考えていなかったとしても、全く問題はない。

本編には関係ないし影響しない要素だからだ。

 

鋼の錬金術師の作者、荒川弘は師匠である衛藤ヒロユキに「数値を決めちゃうと自由度が下がる」と教えられたこともあり、登場人物の身長体重誕生日などを詳しく設定していないそうだ。(エドのみ物語に関わるので冬生まれ設定がある)

衛藤ヒロユキ自身も、魔法陣グルグルのアニメ化の際に求められたので仕方なくキャラのプロフィールを決めたが、元々設定していなかったという。

 

作品にとって世界観の作り込みは重要だが、それが全てではない。

例えば、作中で死んだ人間が生き返る、という展開があった場合、なぜそうなったのか、の理由づけは必須である。

「なんか奇跡が起こった」では読者は納得しない。それではただのチープな作品に成り下がってしまう。

そうなるまでの伏線をどこかで仕掛けておかなくてはならない。それも、気づかれないためにこっそり仕掛けすぎると、伏線だと気付いてもらえず唐突な展開だと思われてしまう。この辺りは細かく設定しなくてはならないだろう。

だが、身長や血液型、誕生日の設定は必須ではない。

また、身長や血液型を決めると、逆に世界観と矛盾してしまう場合がある。

例:血液型を正確に診断できる技術があり、それが一般的に広まっていることになる等。

 

作品の余白を自分なりに想像するのも読者の楽しみの1つだと思う。

だが、残念ながら想像力の足りない揚げ足取り多いのも事実。

中世ヨーロッパ"風"のファンタジーものに対して、「中世ヨーロッパに〇〇はない!」とか突っ込むのは無粋だし的外れだ。だってあくまで"風"だし"ファンタジー"だから。

そんな指摘は気にしなくていい。創作は誰にも縛られる必要はない。

書く側も読む側も自由に楽しみたい。

文句を言ってくるやつがいたら頭をレンガブロックでかち割ろう。

 

さて、私はかち割り用のレンガを買いに行ってきます。

 

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